当事者不在のシステムであるならば、福祉の向上は望めない

今年は、いろいろな地域でたくさんの方にお会いし、お話する機会が多かったのですが、そこからは高齢社会、在宅介護の現実の姿が浮かび上がってきます。ある方は、「介護が事件となるケースは、人事とはとても思えない。たった一人で背負うことにでもなれば、事件がおきても不思議ではないと思う。私は同世代の友人たちに介護中の人が多く、友人同士で介護の話題を共有できることで救われている」。
また、別の方は、「品川区では『介護者の慰安旅行』という事業があるらしいが、寝たきりの親を置いてはいけないし、ショートステイだって決して対応は万全じゃあないじゃあない。一緒ならとも思うけれど、そこまではしたくないし。そもそも、本当の慰安はなにか、介護者を支えるということがどういうことか、当事者の声を広く拾いあげるしくみや工夫が必要だと思う」とおっしゃいました。また、「在宅で2人の、場合によっては4人の親をケアする人もいる中で、ケアホームを利用できる住民がどれだけいるだろうか。サービスの質の向上は当然だけれど、在宅ケアを支援するのが介護保険制度であれば、まずもっと介護者の声を聞いてほしい、依然としてサービスの量は限られていて、必要なときにショートステイが利用できないなどという話は、我が家の事例だけではなくて、周辺の介護世代に共通する悩みであることを行政はわかっているのだろうか」。地域を歩くとこうした声が引きも切らず聞かれるのが実態です。

誰もが安心して暮らせる地域をつくるために
「在宅ケア」の体制を充実する

私たちは、安心して子どもを生み育て、高齢になっても障害があっても、住み慣れた地域でともに暮らし続けたいと思っています。来る東京の高齢社会では4人に一人が一人暮らしの高齢女性となることは明白なのですから、まさに、人事ではなく当事者は私たちなのだということも実感する日々でした。
介護保険や医療制度の改正、障害者自立支援法の施行によって、施設や病院から「地域へ、在宅へ」という流れに拍車がかかっています。ですが、施設と地域をつなぐサポート体制や中間施設などの基盤整備は決して十分とはいえず、小規模多機能型サービス拠点の整備などもその緒についたばかりです。同時に立派な施設整備に苦心しても、当事者不在のシステムであるならば、福祉の向上は望めません。制度設計を血の通ったものとするために、今、現場に立ち戻ることが求められているのではないでしょうか。
私自身、介護に続き、義父を看取った経験を持っています。地域での在宅生活を可能とするために、安心して暮らせる場所の確保とともに、保険・福祉・医療の連携で、必要な人に必要なサービスが保障される体制づくりとそれを提供できる人づくりに力を注ぎたいと強く思っています。<いちかわ・かずこ>

●写真は、市民ボランティアによるミニデイサービスの懇談風景。高齢の方、障害がある方、介護者、ボランティア会員とが集い、ともに昼のひと時を過ごします。