もうひとりの市川和子さんにあやかって、がんばろうと決めた日

2月1日 候補予定者となって初の体験が目白押しのこの頃。この日は、生活者ネットワークの街宣車に乗って区内を一巡。いくつかの駅頭や街角をお借りして、食の安全や地域福祉政策、市民参加と情報公開をめざして、議会にネットの議員を送り出している生活者ネットワークの市民政治について、アピールした。現職議員、三村りつ子のバトンを受けるローテーションを成功させ、市民の議席を継続することが、私の最大の役割であるのだが、まっさらの新人。なんとか名前を知ってもらいたい一心でマイクを握る。ひとりでも多くの人に、1年以上かけて市民とのキャッチボールで調査・研究し、ワークショップを重ねてつくった「市川和子と生活者ネットの政策」を手にとってもらいたい……。かなり必死の初の街宣活動。この日、街角でお会いしたある方からこんなことばが。
 「市川和子って、昔活躍した女優さんとおんなじねえ」というのだ。そんな人がいたんだ、とそのときは聞き過ごしたのだが、ネットの事務所に戻ると、「今日は、コーヒーと和布のお店(おいしコーヒーが飲めて、和布を素材におしゃれな洋服や小物をつくる西大井にあるアトリエ)のマダムが、ポスター貼らせてくれてね。その方がね。市川和子さんって、大映の女優さんとおんなじ名前よね。字もまったくおんなじ。がんばってね、って」。ポスター貼り隊のボランティアメンバーがいうではないか。
 こんなときはインターネットが便利で、さっそくメンバーがアクセスしたインターネット情報によると、1954年、逗子開成中学のボート遭難事件とそれにまつわる“真白き富士の嶺”の歌謡曲に材を取った同名の大映思春期映画に、若い女性教師という役柄で銀幕デビューした女優さんということだ。山本富士子主演の「夜の河」では上原謙の娘という役どころ。TV時代には、私も見た覚えのある江里チエミ主演のファミリードラマ、「咲子さんちょっと」にも出演しているらしいのだ。そして、とうとう探した女優市川和子さんのポートレートは、市川雷蔵さん宅に新春のごあいさつ、といった構図だ。年譜を繰ってみると1972年の映画出演を最後にその後の様子はわからない。お元気でいらっしゃるのだろうか。

 そういえば、これまで、それぞれの時代に深くかかわった学友たちはどうしているのだろう。長い付き合いとなった友もいるが、かつて知り合った多くの友が、それぞれ私の知らないその後の人生を過ごしているということになる。こんなことがあってか、ちょっと気になる友のことを想い出して、高校時代の写真をしばらくぶりに開いてみた。ティーンエイジの12人の友が写った写真なのだが、どうしても名前が出てこない人が。顔はようくわかるし、あの時あんなことがあったなんて記憶もよみがえってくるのに、名前が出てこない……。ということは、みんなの記憶の中に、私はちゃんと存在しているかしら、とあやしくなってきた。時々は今日の私のように思い出してくれるのかしら、と複雑な心境にもなったというものだ。
 ともあれ、当分気になる、もうひとりの市川和子さんの現在であるが(どなたかご存知ですか?)、やっぱり今を共にする仲間、これから出会うだろうまだ見ぬ人たちと精一杯、与えられた役割を果たしていこう、と決めた。明日からも元気にがんばります! 少しだけ、もうひとりの市川和子さんにあやかって。<いちかわ・かずこ>

▲2月2日、東京・生活者ネットワークの“新春のつどい”に参加。日頃から生活者ネットを支えていただいている関係者や各界の方々が参集。4月の統一地方選にむけて元気をいただく場となった。この日もたくさんの新たな出会いが。写真は、品川・生活者ネットも参加する、自治体議会改革フォーラム「変えなきゃ!議会2007」キャンペーン事務局(市民立法機構内)の廣瀬稔也さんと
▼勢ぞろいしたネットの候補予定者